くらい海の上に 燈台の緑のひかりの

何といふやさしさ

明滅しつつ 廻転しつつ

おれの夜を

ひと夜 彷徨(さまよ)ふ


さうしておまへは

おれの夜に

いろんな いろんな 意味をあたへる

嘆きや ねがひや  の

いひ知れぬ――


あゝ 嘆きや ねがひや 何といふやさしさ

なにもないのに

おれの夜を

ひと夜

燈台の緑のひかりが 彷徨(さまよ)ふ


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おもひでが それからそれへ 酒のこぼれて
                      種田山頭火

燈台の光を見つつ      伊藤静雄


種田山頭火(自由律俳人、萩原井泉水門下で「層雲」同人)(1882―1940) 山口県防府(ほうふ)町(現防府市)生まれ
 最近また山頭火ブームのようです。自由律の俳人としては、山頭火と尾崎放哉は自由律俳句の双璧と言われ、同じく萩原井泉水門下で「層雲」同人であり大正・昭和初期のほぼ同じ時期に活躍した。二人とも酒癖が悪く放浪の俳人と似ているが、顔を直接合わせたことはないがお互いを意識し尊敬しあっていた。
 放哉は小豆島の南郷庵で昭和元年4月7日に41歳で亡くなった。 山頭火は大正9年に放浪の旅に出てその後多くの名句を残し、昭和15年10月11日に愛媛県松山の「一草庵」で59歳の生涯を閉じた。
二人の俳句は一読して似たような句が多いが、同じ「層雲」の同人で印象的な自由律俳句づくりを目指していて放浪の環境も同じようだったので似るのは無理もない。
 一般に、山頭火は陽で放哉は陰と評されているが、師の萩原井泉水は「放哉は大体に楽天的の気持を含んでいるし、山頭火には厭世的と言ってはいいすぎようけれども、決して楽天的なものではない。放哉は大自然の中にぐんぐんと入っていって自分を忘却してしまう。山頭火は大自然の中に入っていくにつけて、やはり自分の姿をそこに見出していく。自分を捨てきれない。だが、それが悪いとか良いとかいうものではなく、そこに山頭火の俳句の特色があるという訳だ。」と評している。
 山頭火は自分の作句について「印象に即して印象の奥を探り、そこに秘められた或る物を暗示しなければならないと信じています。そして、そこから象徴詩として俳句が生まれると信じています。」と述べている。
なお、俳号の「山頭火」は師の「井泉水」と同じく、占いで用いられる陰陽五行説の一つ「納音(なっちん)」の生まれ年の吉凶を表す30区分の名前の中から、気に入ったものを選んだと本人が語っています。

蛇足ですが、管理人のわたしが好きな山頭火の句は
  若い時は     「分け入っても分け入っても青い山」 ・・・あこがれを持った時代でした
  働きだした時は 「まっすぐな道でさみしい」 ・・・一人よがりの理想が砕け失望の時代でした
  年が経ると    「捨てきれない荷物のまへうしろ」 ・・・・つまづき疑い嘆く暗い時代でした
  老年の今は   「ふたたびは わたらない 橋の ながいながい風」・・・前を向いて生きよう

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10月10日

ノコンギク(野紺菊)

 ガーデンミュージアム比叡にて

キク科シオン属(アスター属) 多年草
原産地 本州〜九州、朝鮮半島、中国
花期 8月〜10月
野草とは思えないほどきれいな菊で、野菊の代表格です。紺色は個体差が大きく、白に近いものもあります。ノコンギクの紺色の強いものを選抜したのが、園芸種のコンギク(紺菊)ですので、野生種との違いはほとんどありません。

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